人参

十月の下旬、長野県の上田から別所温泉に向かう電車に乗ると、平らな三角を重ねた三っうろこ、北条家の紋を印したノボリがあちこちに見える。戦国時代の武家、塩田北条に因む北条祭りというお祭りである。この時期、このあたりはナナカマドとモミジの紅、イチョウとイネの黄、カラマツの赤茶色、それに空気の透明さからかスギの木の緑までが美しく、鮮やかな色彩に包まれる。

1990年代まではこのあたりから上田、佐久、丸子、小諸、軽井沢にかけては、福島県の会津若松、島根県の大根島とともに、薬用人参の三大名産地であった。信州産の紅参は産出がもっとも多く、香港、東南アジアなどに多量に輸出もされていた。

現在はいずれも大幅に衰退して、佐久市のごく一部、会津若松、大根島でわずかに栽培されているに過ぎない。好事家のために園芸店で苗を売った方が儲かるのか、昔に比べると一般の園芸家が苗を手に入れることが、極めて容易になっている。

Episodical Pharmacognosy in Kampo Medicine オタネニンジン
オタネニンジン
生晒人参
生晒人参
(右)紅参(中国)・(左)白参(韓国)
(右)紅参(中国)・(左)白参(韓国)
人参畑

漢方薬の王様と言われる人参の種子を、日本に持ち込んで栽培しようとしたのは半島侵略を試みた豊臣秀吉とも、加藤清正だとも言われるが、それ以前にも高麗貿易がなかったわけではなく、栽培を試みた人は何人も居たと思われる。慶長十二年(1607)になると、渡来人によって種子が将軍徳川秀忠に献上されたという記録もある。

享保元年(1716)将軍となった吉宗は、江戸時代の医療水準を高めた上で数々の功績がある。日光の薬園ですでに栽培に成功していた人参の種子を諸藩に配り人参栽培を奨励した。将軍から下げわたされた種子というわけで、御種人参と呼び、それこそ命がけで栽培研究が始まったのである。直射日光がだめ、風には倒れる、雨に当たると葉が腐る、土壌は水はけがよく細菌の少ない土、連作不可というよりは、一度人参を植えた土地には20年から30年もの長い間植えられないという厄介な栽培条件を、どのようにして見つけ、どのように克服してきたのかと考えるとつい頭が下がるというものである。

通常の植物なら栽培を重ねていると、子から孫へと次第に馴化して栽培しやすくなるのだが、さすが長白山孤高の植物だけあって、畑で栽培される囚われの身になってざっと300年、いまだにその難しい条件を要求し続ける誇り高い植物なのである。とにかく、栽培に成功して現代にまで残ったのは会津と大根島の二ヶ所だけであった。現在の主産地である信州は明治になって、会津から種子をもらって始めたものである。

福岡藩は一応成功して、江戸時代の末まで栽培を続けていたのだが、明治以後絶えてしまった。現在の博多駅から広い通りを西に300メートルほど行くと、左側に人参畑塾跡という石碑が立っている。福岡藩薬園にあった医学塾の跡を示すものだが、この横の通りを昔は人参畑町と呼んでいた。町名地番変更の嵐はここにもやってきて現代の町民には田舎臭いと不評だったとかで、駅前四丁目というもっと田舎臭い町名に変更された。この奥にある児童公園に人参公園という名が残ったのが救いである。

西洋から入った野菜の人参は中国では胡蘿蔔と呼び、大根の同類としている。ゆでると赤くなり、香りが似ていたので同じ名前で呼んだのも自然のなりゆきであろう。八百屋が騙したという説はとりたくない。香りの成分は両者とも同一のβ-エレメンを含んでいる。ついでに言うと浜防風にも同じ成分があり、この三者はほとんど同じ香りである。日本で200年以上もかけて磨きぬかれた人参栽培の技術は、90年代になってすっかり中国と韓国に渡ってしまった。

人参サポニン

神農本草経には人参の薬効について「五臓を補い、精神を安んじ、魂魄を定め、驚悸を止め、邪気を除き、心を開き智に益す。久しく服すれば身を軽くし、年を延ばす。」と記載している。
 収穫後、直ちに水蒸気で透き通るまで蒸して乾燥したものが紅参で、後世方で多く使われる。加工による成分の変化が認められ、マロン酸の結合したサポニン4種が消失し、7種の新しいサポニンが出現する。この成分の変化が薬効にどのように影響するかは、まだ明らかにされていない。

薬用人参の主な成分はジンセノサイドRoからRhに至る28種のサポニンである。これらのサポニンは一風変わったサポニンで、他のサポニンに見られるような鎮咳去痰の作用とか、赤血球を破壊する溶血作用などは見られない。サポニンの混合物は動物実験で中枢興奮、抗ストレス、抗潰瘍、抗疲労など、ジンセノサイドRb1,Rb2, Rc はむしろ中枢抑制、精神安定の作用を示し、Rg群は中枢興奮の作用を示している。その他それぞれ作用は多少異なるが、生化学的な方面から見た薬理でも「五臓を補す」方向で様々な作用が説明されている。

Rb2, Rc に実験的高脂血または、高血糖の改善が知られるが、同時に含まれる多糖類パナキサン類に血糖降下が認められ、精油中のポリアセチレン化合物であるパナキシノールには抗炎症、抗腫瘍など、神農本草経に記載のない作用も見つかっている。記載がないと言えば、人参の最も重要な使い方と考えられる脾胃の気虚を補う作用、補気薬としての薬効も明確に記載されているとは思えない。

【薬効と漢方処方】

漢方では代表的な滋養強壮薬であり、元気を補い、胃腸を健やかにし、神経を安定させ、からだを潤す目的で、処方に配合されている。人参の配合される処方は多く、補中益気湯、六君子湯、人参湯、人参養栄湯、十全大補湯、小柴胡湯、柴胡桂枝湯など、漢方薬の4つに1つは入っている。

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