桂皮

子供の頃、京都銀閣寺へ上がって行く坂道の中ほどに住んでいた。すぐ近くにも京名物八つ橋の製造元があって、店先で焼きながら実演即売をするのが近所の女の子たちの仕事であった。八つ橋はもち米、ごま油、砂糖などと桂皮の微粉末を原料とする。この桂皮に昔は辛味の強いチリチリという日本桂皮が使われていた。戦後になって日本桂皮の生産が衰退し、今では主として中国の広西あるいは広東産の桂皮が使われている。甘味のあるジャワ桂皮やセイロン桂皮などより、辛味の強い薬用の桂皮を使う伝統は残されているが、不衛生という理由で実演即売がダメということになり、焼きたてのキリッとした辛味が味わえなくなったのは残念な気がする。

Episodical Pharmacognosy in Kampo Medicine 日本産のニッケイ

日本産のニッケイ

左から桂枝、桂皮(広東省産)

左から桂枝、桂皮(広東省産)

広東省肇慶の肉桂畑

広東省肇慶の肉桂畑

桂皮末テクノロジー

生薬の微細粉末を作ることは意外に難しいものである。桂皮は幹の皮部を使うものであるが、皮部の組織の間に細胞壁のきわめて厚い石細胞ばかりでできた層が挟まれている。この細胞は直径20ミクロン程度のものであるが、これを1ミクロン以下に砕かないと舌ざわりが悪くなる。ふるい分けしようとしてもこんなに細かいふるいはなく、高速で衝撃を与える粉砕に時間をかけると、摩擦熱と冷却風で香りの成分はなくなってしまう。精油成分は揮発しやすい液体の物質である。日本の伝統製薬技術は、実に簡単な方法で微粉末を作るこの至難の技を解決している。
奥行き、幅、高さとも1.5メートルほどの密閉した部屋の底に石臼を埋め込み、太くて重い杵を低速で力の強い水車で動かしてドスンドスンと衝くと桂皮は次第に細かい粉末になって、空気中に舞い上がる。その微細粉末は静電気を帯びるため、部屋の壁や天井に厚い層になって着く。天井に着いたものが最も細かい微粉末になっている。その水車を維持することも大変な時代の中で、とにかく八つ橋の味は守られているのである。

桂皮の名産地

薬用の桂皮、桂枝の基原植物は中国の広東、広西からベトナム北部にかけて自生あるいは栽培されるケイ Cinnamomum cassia (中国名・肉桂、クスノキ科)である。
中国広東省、広州から西100kmほどの所に肇慶(ちょうけい)という町がある。市の周囲が高要県で帆船牌のトレードマークで知られた桂皮の名産地の一つである。肇慶はまた中国文房四宝の一つ、端慶の硯の産地でもあり、七星湖という美しい湖が町の中心になっている。町の東北に唐の時代、五回めの航海で海南島まで漂流して失明した鑑真と行動をともにしていた日本の僧栄叡が、ここで病死したという鼎湖山がある。この背後に続く山に入り、栽培を見せてもらった。
最初は苗床に播種し、二・三年育ててから東南向きの日当たり

のよい山の斜面に定植する。水はけの良い腐植質の傾斜地がよく、強風を避け、湿度を保つために、杉木(コウヨウザン)などの植林の中に区画を定めて肉桂畑にする。六・七年で根元の直径が五センチほどになるので、地上20センチあたりで切って伐採し、初の収穫をする。クスノキ科植物の通例として、切られた幹の周囲から沢山の芽が出てくるが、強い枝二・三本を新しい幹として育てる。六・七年で太いものから切り、また切り株から新しい芽を出させる。これを繰り返すことで、一度植えた苗は百年以上もの間収穫を繰り返すことができる。
四月の清明節の頃、雨が多くて樹皮がはがれやすく、桂皮収穫の時期になる。若い幹のものはコルク皮も薄く、そのまま長さ40センチほどに切り、陰干しして管状に仕上げて「桂皮」となる。少し老化するとコルク皮が厚くなるので削り落とし、「桂心」にする。十年以上のものは管状にならず、はしの方が少し巻き込む程度となり「企辺桂」という。野生品だが老木のものは厚い板状になり、「板桂」という。
良い幹を育てるため、初秋に枝打ちをして「桂枝」、「桂葉」および未熟果実の「桂丁」を収穫する。未熟でも大粒になったものは「桂子」という。桂枝は漢方で用いるほか、桂葉、桂丁などとともに水蒸気蒸留して「桂油」を取る原料にもされる。
中国における桂皮の主産地は広西の桂林から梧州に至る桂江流域にあたり、東興桂皮、西興桂皮などの名で出荷されている。

日本桂皮

日本桂皮は和歌山、高知、鹿児島などで栽培されていたニッケイの根の皮であるが、この植物は分類学上確定されておらず、一応東南アジア原産の Cinnamomum sieboldii となっているが、C. loureiriiとされていた時代もあり、最近は C. okinawaense だとする説もある。
日本桂皮は品質が落ちるといわれるが、品質評価の基準も明確でないため、悪いという根拠もない。江戸時代から昭和なかごろまでの日本で、主としてこれを使って来た実績は無視することができない。桂皮の代用生薬としての地位もあるが、ニッケイは樹形もよく、木材としても優秀らしいので、園芸、林業の一つの方向として検討されるべきものとも考えられる。また、根でなく幹の皮が使えるような新しい品種を作り出す出発点としても有望である。中国のケイは北回帰線より南でないとうまく育たない。

桂皮・桂枝

ただ、古典では中焦を暖める補剤としての桂皮、気の上衝あるいは栄衛を解く解表薬としての桂枝という区別が有り、日本薬局方やこれに基づく薬局製剤指針の根底に見られる、桂枝は安物の桂皮という考え方、桂枝湯も桂枝でなく桂皮の方が良いのだという考え方には納得できない。桂枝は桂枝である。桂枝の皮を去るというのも、若い枝を乾かすとうすくはがれてくる表皮だけ、それとも少し古い枝の表面のコルク皮を除くのか、皮部すべてを除くのかいろいろ考えられ、白い木部だけになったものに薬効があるのかないのかも確定しておらず、ちょっと待って下さいと言いたくなる。これまでに報告された成分や薬理の研究は、このあたりをまだ説明できていない。
しかし、中国の亜熱帯の産物である桂皮・桂枝と北部乾燥地帯の麻黄を初めて組み合わせた天才は誰なのであろうか、傷寒論の書き出しはここから始まっているのである。

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